神社ときどきマンホール

神社めぐりを中心に 町歩きのメモ

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 2022年ごろから始めた神社巡りを中心に、町歩きの途中でふと心に残ったあれこれを、写真とともにメモしていきます。→当ブログの目的はこちら

 開設は、2026年5月で、私はその時点で60歳台の男性です。宮崎県に住んでいます。鉄道やバス旅行も好きで、昔は、DISCOVER JAPANのスタンプを集めていたこともありました。マンホールの方は今年(2026)に始めたばかりですが、それまでも、少し気になって撮っていました。

 

 調べたことは、リンクを張っていますが、それ以外は割といい加減なことも書いているのであまり信用しないでください。

 

 これは、最初の記事で書いた水流菅原神社の鳥居で、ブログのサムネイルでも使っているものです。

 

 ブログ記事を書いていると、自分の好きを見つめ直すきっかけになります。神社で言えば、私は鳥居と狛犬が好きなようです。建物というか、神社の構造にも興味がありますが、勉強不足でまだよくわかりません。他には、祭神様でいうと、日向神話や地元の水神様などが面白いと思っています。田の神さぁも同類なので興味あります。

 

では、よろしく。

 

なお、このページは、随時編集を行っています。

 

2026年 5月5日 記、 5月24日 改定

 

 

 

姫路神社(姫路市)

 姫路城を観光して、城内にある姫路神社へ向かう。姫路城の喧噪が幻のように人がいない。晴れていてとても暑い。ここは、姫路城の北東にあたり、鬼門の方角だが、由来によると、明治4年の廃藩置県の時に、姫路城主を御祭神として、創祀(そうし)され、別の場所に社が作られたが、その後、城内へ遷座してきたそうだ。ここからは、AIによるので、信頼性は分からないが、元々この場所には、城の鬼門を守る「聖なる姫山の森」があったそう。

 

 境内以外に参道はなく、鉄の門を入ると、鳥居がある。

 

 鳥居からは、木が茂り、拝殿はあまり見えない。

 

 参道を50mくらい歩くと、拝殿へ。屋根が左右方向にあまり広がっておらず、きゅっとしまった感じの社殿。それと、とても大きな狛犬が目立っている。拝殿は、入母屋造(いりもやづくり)で、正面に千鳥破風(ちどりばふ)を付けた向拝(こうはい)を持つ構造。向拝とは、拝むところの上まで屋根が延びている構造のこと。

 

 左の吽形の狛犬。色が黄色っぽく見えたのは、石の色ではなく、表面を覆った地衣類の色だった。肩の筋肉が少し盛り上がっている。胸のところにあばら骨のような筋があるのは、珍しいかも。右の阿行もほぼ同じ形。

 

 しっぽは、1本で天を向いて立っている。胴としっぽは離れている。

 

 拝殿を左側の横から見たところ。しめ縄もあって、一瞬正面のようにも見える。本殿の写真は撮り忘れた。

 

 左側の道を進むと、境内社の寸翁神社がある。

 

 木の下をくぐって、拝殿へ。質素な感じの社殿。

 

 床が石でできていたので、拝殿に入り、賽銭箱の上にあった神額。これも、割拝殿と呼んでよいかよくわからない。

 

 この神社の祭神の河合寸翁(すんのう)氏の像。彼は、姫路藩の家老で藩が困窮しているときに、農民思いの改革を行なったり、藩の大借金を綿の産業を立て直して、すべて返済するなど、他にもいろいろ地元貢献したそうだ。姫路で知らない人はいない名士だそうだ(多分、小学校の社会科で習うレベルの人)。御朱印をもらった時に、そこの方に、その話を聞いて、寸翁神社を参拝するように進められた。 

 さらに、神社内で取れる3本の葉を持つ縁起物の松の葉をいただいた。このとき、授与所内は冷房がよく効いていて、窓を開けて話をしたので、冷気があたってとても気持ちよかったのが忘れられない。

 

 さらに、奥に進むと、もう一つの境内社、岩倉稲荷神社がある。大正時代に遷移してきたそうだ。狐の狛犬が立派で、筋肉が隆々としている。目もいわゆる狐目で怖い。

 

 後ろから見ると尾が大きく存在感がある。狐の狛犬のしっぽは普通このようにとても大きい。

 

 境内にあった針塚。*塚は、割と好きなジャンル。

 

 茶筅(ちゃせん)塚は、ちょっと珍しいと思う。毎年供養が行われているのだろうか。それほど広い境内ではなかったが、他にもいろいろあって楽しめた。

 

2025年7月 訪問

 

参考サイト

姫路神社HP

二俣町内会 河合寸翁