神社ときどきマンホール

神社めぐりを中心に 町歩きのメモ

母智丘神社/石岑稲荷 (都城市)

 2つの神社が接近して鎮座していて、どちらがどちらかの境内社でも無い関係。それぞれ、別の神社として紹介してもよいのだが、あまりにも一体化していて、分けてしまうのも違和感がある。ここは、そういう神社だった。

 

 それぞれ、もちお/いしみね と読まれている。都城盆地の西の端で、鹿児島県境まで1kmもない。母智丘と言えば宮崎の人はほとんど知っている桜の名所だが、実は、その桜並木は母智丘神社の参道であることはあまり知られていない。満開を過ぎたということで、混雑を避けて、初めて母智丘へ行ってみた。

 

 駐車場の横に鳥居があり、階段が始まる。実は、調べてみるとここから約2km東に一の鳥居があるのだが、知らなかった。そこまで桜並木は続いている。これは、かなり昔から信仰が厚い神社とわかる。

 

 鳥居の下には常設の遥拝所がある。神社の標高は約240mで、ここからの標高差は約55m、ビルで言うと約20階分。お年寄りの方にはかなり大変なので、遥拝所があるのはわかる。もちろん、横の車道を行けば車でも参拝できる。
 鳥居の下のモザイクをかけた人は、賽銭箱の修理をされていたようで、移動されないのでそのまま撮影。普通の格好のおじさんだが、このような方が宮司さんの事もよくあるので、粗相の無いように行動し、登り始めた。

 

 りっぱな拝殿。まだそれ程は古くない感じ。1998年に立て直したと由来あった。桜の時期のせいか、境内には参拝者がちらほらおられる。

 

 本殿を正面から撮った写真は無かったが、2間社の流造のよう。2間社とは、柱が3本で柱間が2つという意味らしい。右側の大きな石が陽石。

 

 陽石を正面から。大きくて、どこが陽なのかはよくわからない。その後ろにも巨大な岩。ここは丘の上の巨石信仰が起源の神社らしい。

 

 その右の割石。この岩がスパっと割れているのが信仰の対象のようだ。東霧島神社にもよく似た石があったが、それとの関係があるとの伝承もあるらしい。確かに石の種類は同じようで、火山灰が固まったような岩。

 

 私が目を引いたのは、この石より、その前にある小さな鳥居2体。石の鳥居のサイズは小さいが、重厚。削りだしの一体物のように見える。明治4年と彫ってあるので、これでも150年もの。その左の細い柱の鳥居は鉄製のようで錆がひどい。笠木が優雅な曲線を描くのがチャームポイント。多分石の鳥居より新しいのだろうが、古代の磐の上での祭神跡がそのまま残っているという想像を掻き立てられる、良い案件。

 

 さらに奥には、下のような岩。何か小さな石の祠が見えるが、色々調べたが、これが何かよくわからない。雨乞いの儀式をした場所に近いので、その関係かもしれない。実は、この神社の説明を書くにあたってはいくつかのサイトを参考にさせてもらった。それは最後に上げる。あまり予習して行くと面白くないので、ぶっつけ本番の参拝になるが、ここのように見どころが多数の神社は、見落としも出てしまうのは、仕方ない。

 ところで、この写真のメインは祠ではなく、その左の岩の窪み。実は、これが陰石で、いろいろと御利益もあるのだが、長くなるので省略。

 

 次に、これも写真を撮り忘れているのだが、4つ前の写真に4体の赤い鳥居が写っているが、その一番右側の鳥居をくぐり、数段の階段を下っていくと、この神社の元宮と言われる石岑稲荷へたどり着く。かなり暗いのだが、写真では明るくしてある。2体の狛狐が守っていて、お供え物のお神酒等がたくさん。お参りの人も多い。

 昔は2つの穴(洞窟)があったと解説があったのだが、よくわからない。左右に2つしめ縄が張られているので、それがその名残なのではないかと勝手に想像。

 

  裏に回ると小さいながら、社の建屋が作られていた。これが、拝殿で、その後ろの石そのものが本殿かつ御神体ということだろう。

 

 更に裏にまわると拝殿と岩の間に更に2体の狛狐が。厳重にお守りされている。

 

 この先に行けば、展望台もあるそうだが、見どころも多く疲れたので、ここまでにする。神社の場所からでも十分展望と桜は満喫できた。都城盆地が一望でき、春霞に包まれていた。

 

2022年 4月 訪問

 

参考にさせていただいたサイト

てげうめぇ☆ミヤザキ

新全国神社検索

偲フ花

ありがとうございました。